創業してから数年間、私たちのアセスメントの仕事と言えば、「審査型アセスメント」でした。どの会社にも「壁を作りたい昇級と昇進」というものがあります。昇級や昇進に、「ほとんどの人が通過できる比較的簡単なところ」と「誰もが一様に通過できるわけではなく実績や能力の差が反映される難所」とのメリハリをつけて、後者に重要な意味と権威を持たせようとするのです。
その難所において上位等級や上位職において機能する人物か否かを測るためにアセスメントを使うことは、日本以外の先進諸国では一般的なことであり、この審査型アセスメントは、アセスメントの使い方として極めて合理的なもののひとつだと思います。
私たちも開業直後から、効果を訴求しやすく売りやすいこのタイプのアセスメントのプロモーションに余念がありませんでしたが、間もなく東京郊外の某企業から昇進審査の仕事をいただきました。その会社では、課長の役割を明確にし、「課長に求められるもの」と「係長以下に求められるもの」とが全く別物であるということを全社に徹底しようとしていました。
「課長職を誰にでもなれるわけではない職位と位置づけ、非管理職時代の実績や経験と課長適性とを切り離して考えて、アセスメントを使って候補者の能力に改めて向き合いたい」と、その会社の社長はおっしゃいました。私はその言葉に惚れ込みそんな経営者と仕事ができることを誇りに思いました。
年に一度の昇進審査の中のひとつのメニューとしてアセスメントを組み込んでもらい、記念すべきその第一回は、その年の昇進審査も大詰めに近づいた二月某日、同社の会議室で行われました。課長候補の係長さんたち数名に4時間にわたるアセスメントに取り組んでもらい、その後社長と役員の皆さんの前でアセスメントの結果をフィードバックするという、最もオーソドックスなパターンです。
アセスメントの結果、大半の候補者に昇進リスクが浮かび上がり、私はその結果を経営陣に伝えるべくフィードバックミーティングに臨みました。もちろん私は昇進の是非を提言するような立場にはありませんでしたが、「昇進したら課長として機能するか」「課長になったとしたらどんなリスクが推察できるか」などの情報を提供することが求められていました。私は、気を遣いながらも、ひとりひとりの受験者についてのシビアな現実を伝えなくてはなりませんでした。
ある候補者について私が少し厳しい見解を述べた時、それまでの候補者の時は穏やかな表情で適度の相槌を打ちながら聞いてくれていた経営陣の顔色が変わりました。そして私の発信が一息つくやいなや、彼らの口から反論や批判が次々と飛び出し、その場はたちまち紛糾して私を凍りつかせたのです。
皆さんの話を総合すると、
「Aさん(その候補者の名前)は、3か月前にB社(誰でも知ってる超大企業の会社名)の係長を辞めて来てくれた人なのだから、うちの課長が務まらないわけがないでしょう」
ということでした。今思うととんでもない言い草なのですが、経営陣の皆さんは恐ろしいほど本気でした。私が惚れ込んだ社長は、困ったように腕を組んで目を閉じていました。
三顧の礼を尽くして来ていただいた同業最大手の現職係長。きっと会社側としては、彼に昇進アセスメントを受けていただくこと自体、気を遣われたのだと思います。そして、その人に関しては「ノーリスクの百点満点」と診断されるに違いない、と、誰もが疑わなかったのだと思います。そんなVIPのような方に対して、どこの馬の骨かわからないような若造コンサルタントがいきなりあれやこれやと言うわけですから、それは強い反発を生んで当然でしょう。
私は動揺していました。今と比べて何分の一の引き出しも持たない当時の私の言葉には説得力が致命的に乏しく、その場をきれいに収拾することなどとてもかなわぬことでした。不信と不満が渦巻く空気の中で私は考えていました。
「例えば、もし私が有名な外資系コンサルティングファームの人間だったら、こんな事は言われないはずなのに」
「何のブランドも肩書もない自分がこれからこのような戦いの場を制していくためには、もっと強い心を持たなくては」
そして、こんなことも考えていました。
「戦いに臨むための準備として、皆の納得を得られるような緻密な論理武装が絶対必要だ!」
以来今に至るまで、私はアセッサーミーティングを自分の主戦場と位置づけ、誰にどこをどう突っ込まれても理論が破綻しないように、頭の中で万全のシミュレーションをかけながらそこに臨むことが、すっかり習慣となりました。
翌年の昇進審査でその会社に再び出向いた時、あの時の経営陣のおひとりが、ボソッとおっしゃいました。
「去年のAさんね、奧山さんの言った通りだったよ」
あの後すぐに課長に昇進したAさんの評価は、どうやら芳しくないようでした。しかし、「その後、同社経営陣の私に対する態度はがらっと変わりました」などという美しいストーリーが紡がれることもなく、あの時あんなに私をいじめたのに、私の言ったことの方が正しかったことが判明したというのに、前の年課長に昇格してしまったA氏の「その後」に関する話は、後にも先にもそのさらっとした一言だけでした。
少し釈然としない気持ちを心の片隅に追いやり、私は前年と同じように、アセッサーミーティングで辛口の評価を口にしていました。やはり前年と同じように多少の反論は出てきましたが、前年のようなVIP候補者がいなかったこともあってか、何とか私はその場を制することができました。心が強くなっていたかどうかは定かではありませんが、論理武装の方は少しばかりしっかりしてきたような気がして、それが無性に嬉しかったのを覚えています。
ほろ苦かった採用アセスメントのデビューに続いて、審査型のデビューは泣きそうになるほどの試練でした。でも17年前のあの日、私は、「人を観る」だけのアセッサーから「人を観て人に伝える」コンサルタントへと変わっていくための第一歩を早々に踏み出すことができました。
※ 17年前のこととは言え、会社や個人が特定されて守秘義務規定に触れることを避けるため、一部に少し「フィクション」を加えさせていただきました。でも、アセッサーミーティングでいじめられている時の様子は、全くの事実です (^^;