ルノアール【復刻版】-2008年10月19日公開-

ルノアール【復刻版】-2008年10月19日公開-

新宿界隈で人と会う仕事だったが、予定が午後四時くらいから八時くらいまで空いているということで、娘が新宿まで出てきて例によって「お勉強」につきあうことになった。

 

「学習場所」に選んだのは「ルノアール」

 

言わずとしれた「おじさん喫茶」である。僕が中学生の頃からあちこちにあった覚えがある長寿チェーンだ。

 

 

 

考えてみれば、ドトールの出現以降低価格コーヒーが幅を利かし、昔ながらの喫茶店がどんどんつぶれていく中で、「高いコーヒー」を出すこのチェーンが生き残っているのはある意味すごい事だと思う。

 

かくいう僕もルノアールのヘビーユーザーだ。街での空き時間にレポートやコラムなどを書きたい時はここへ飛び込む。コンセントを使えるから、そして、公明正大に長時間滞在できるから、である。

 

昔の高価格でお世辞にも特別旨いわけではないコーヒーを出すこのお店は、どの店舗でもいつもそこそこの入りを見せていて、時間帯によっては満席になっていることもしばしば、である。

 

「どうぞ長い時間いて下さい」をお店のスタンスとしてしまう、極めて勇気のある絶対的差別化戦略がルノアールの命綱だ。この戦略の長年の継続的実施によって多くの人たちに「長時間ならルノアール」を刷り込んでしまったことが、成功の最大の要因なのだろう。

 

低価格化、もしくは本格化、など、多くのお店が考える「一般的」な差別化戦略とは正反対を向き、敢えて時代を逆行する方向に舵を切ってマーケットを確立したルノアールからは、学ぶものが多いような気がする。

 

 

 

ここでは、注文の品が出て三十分ほどすると、熱いお茶が出てくる。

 

「そろそろ帰れってこと ?」と娘。「ずっといてください、ってことだよ」と僕。

 

 

 

堂々とテーブルに広げられた教科書や参考書の隙間にウェートレスさんが笑顔でそっと二回目のお茶を置いてくれる頃には、娘もすっかりこの店の「スタンス」を理解していた。

 

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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