リベンジが終わる日【復刻版】-2008年9月5日公開-

リベンジが終わる日【復刻版】-2008年9月5日公開-

今日も、例の夢を見た。何週間かに一度、定期的に見る夢である。もう何十年もその「習慣」は変わらない。

 

 

 

 

普段僕が見る夢はとてもとてもくだらない。というか、意味不明。夢の多くは目が覚めて時間が経つと忘れてしまうが、強烈に覚えているものもいくつかあり、それらはほとんど、意味不明。

 

子犬がたくさん入った大きな箱を持って「俺、犬産んじゃったよぉ」と嬉しそうに見せ回っていたり、田尾さん(野球の、です)が「誰が止めてよー」と泣きながらマヨネーズをすすっていたり。しばらくはテレビで田尾さんが出てくると、笑いが止まらなかった。

 

 

 

 

なのに、例の夢だけは、やたら現実感に溢れ、論理的で、生々しいのである。

 

「大学で卒業試験が間もない時期に、全然授業に出ていなかったことを悔やむ」というその夢を見る夜は「卒業できない!」という強烈な焦りと恐怖でびっしょりと冷や汗をかく。起きた瞬間も夢と現実の境目をしばらくさまようことが多い。

 

このたびある動画サイトの取材を受けたのだが、そのテーマの中に「学生時代について」というのがあった。僕は自分の人生のウイークポイントは学生時代にあったと思っている。今回の取材がそれらを体系的に考察する機会を与えてくれた中で、「節目節目の勝負どころで、『戦う気概』と『やりぬく粘り強さ』を持てずに、ことごとく負けてきた学生時代」をあらためて冷静に整理できた。

 

そして、その後の僕の人生は、学生時代の負けを少しずつ取り戻し、自分の人生をまともなものに立て直していこうとする時間となっていること、を、やはりあらためて認識した。

 

 

 

考えてみると、僕はこれまでずっと、あの頃欠落していたもの、できなかったこと、を直視し続けている。そして、今をその頃と比べ、「少しはましになったかな?」といつも問いかけている。

 

これがいいことなのかどうかはわからない。しかし、目を逸らさなかったことで、自分の言動や思考に昔に比べたら少しだけ芯が通ったような気もする。

 

「卒業試験前…」の夢は、ダメダメだった僕の学生時代の象徴なのだ。それらを今も断ち切らないので、今もって「悪夢」を見せ続けられている。

 

 

 

 

以前、恥ずかしながらこの話をある人にしたことがある。

 

その人は、言ってくれた。「きっとある時、突然、その夢を見なくなりますよ」

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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