今日も、例の夢を見た。何週間かに一度、定期的に見る夢である。もう何十年もその「習慣」は変わらない。
普段僕が見る夢はとてもとてもくだらない。というか、意味不明。夢の多くは目が覚めて時間が経つと忘れてしまうが、強烈に覚えているものもいくつかあり、それらはほとんど、意味不明。
子犬がたくさん入った大きな箱を持って「俺、犬産んじゃったよぉ」と嬉しそうに見せ回っていたり、田尾さん(野球の、です)が「誰が止めてよー」と泣きながらマヨネーズをすすっていたり。しばらくはテレビで田尾さんが出てくると、笑いが止まらなかった。
なのに、例の夢だけは、やたら現実感に溢れ、論理的で、生々しいのである。
「大学で卒業試験が間もない時期に、全然授業に出ていなかったことを悔やむ」というその夢を見る夜は「卒業できない!」という強烈な焦りと恐怖でびっしょりと冷や汗をかく。起きた瞬間も夢と現実の境目をしばらくさまようことが多い。
このたびある動画サイトの取材を受けたのだが、そのテーマの中に「学生時代について」というのがあった。僕は自分の人生のウイークポイントは学生時代にあったと思っている。今回の取材がそれらを体系的に考察する機会を与えてくれた中で、「節目節目の勝負どころで、『戦う気概』と『やりぬく粘り強さ』を持てずに、ことごとく負けてきた学生時代」をあらためて冷静に整理できた。
そして、その後の僕の人生は、学生時代の負けを少しずつ取り戻し、自分の人生をまともなものに立て直していこうとする時間となっていること、を、やはりあらためて認識した。
考えてみると、僕はこれまでずっと、あの頃欠落していたもの、できなかったこと、を直視し続けている。そして、今をその頃と比べ、「少しはましになったかな?」といつも問いかけている。
これがいいことなのかどうかはわからない。しかし、目を逸らさなかったことで、自分の言動や思考に昔に比べたら少しだけ芯が通ったような気もする。
「卒業試験前…」の夢は、ダメダメだった僕の学生時代の象徴なのだ。それらを今も断ち切らないので、今もって「悪夢」を見せ続けられている。
以前、恥ずかしながらこの話をある人にしたことがある。
その人は、言ってくれた。「きっとある時、突然、その夢を見なくなりますよ」