最終のあずさで帰ってきた。ラーメンが食べたくなって上諏訪駅からほど近い「北さん」へ。夜の十一時半に食べられるラーメン屋さんというと、ここが僕の唯一の選択肢となる。
十代の頃は、まだ自分の生活空間の中に気の利いたラーメン屋などあまり無かったように覚えている。当時の「ラーメン」と言えば、近所のラーメン屋に出前を頼むとラップをかけたやつが来て、しょうゆの味しかしないようなスープ中の伸びきった麺をすすった日曜の午後、、みたいな思い出しかない。
僕の「ラーメン文化」は、京都でスタートした。京都での学生生活のスタートを切った頃、できたばかりの友人から「めっちゃ旨いラーメン屋連れてったるわ」と誘われた。京都のラーメンと言うと、よく駅ビルの最上階にあるような「京風ラーメン」みたいな薄いのをイメージしていたのであまり気は進まなかったが、知り合ったばかりの彼の顔を立ててついていった。
それが、ご存知「天下一品」との出会いであった。左京区の北白川というところにある本店に連れて行かれ、店に入ったとたん、「今までに嗅いだことのない」匂いに驚いた。「ウッ!」となる人もいるであろう匂いだったが、僕は五感が無理やり開放されたような感覚を覚えた。
出てきたラーメンは、今まで見たことのない食べ物だった。今でも古い天一ファンは決まり文句のように「昔は箸がスープに乗った。」と遠い目をして語るが、大げさでも何でもなく、スープが液体ではなく半固体で、かつ表面張力がすごいので、箸を置いても箸が沈まなかった。 と、いうか、箸がスープに刺さった。
何しろスープの味が強烈だった。まずかすかなアンモニア臭が鼻腔をくすぐり、その後を理解不能な色々な旨みが七重にも八重にもなってかぶさってきた。口当たりはどろどろである。形容できない味なのだが、敢えて表現するなら、「とにかくめちゃくちゃ旨い」のだ。「超こってり」なのに豚骨などは一切使っておらず、野菜と鶏だけでスープを取っているので、「油」を感じない。
僕はそれ以来このラーメンにとりつかれてしまい、三日と空けずに通った。風邪をひきかけると無理にでも出かけていって、大盛りとライスを腹に押し込むと、本当に風邪が治った。どんな食べ物よりも栄養があると信じ、下宿生活の救世主として全幅の信頼を置いていた。
当時は京都でこのラーメンがブームになっており、本店はもちろん連日の行列。関西ネットのバラエティー番組では、「天一の味の解明」の特集、みたいな番組をしょっちゅうやっていた。
その十年後くらいから、天下一品は全国へフランチャイズ展開を始める。でかい工場で作られたスープがレトルトになって各店舗に送られるようになり、会社が大きくなるとともに天一のラーメンの原型は失われていった。今は何と北白川本店でさえも店でスープを作っていない。悲しいことだ。もちろん、箸は絶対スープにささらない。