天下一品【復刻版】-2009年2月7日公開-

天下一品【復刻版】-2009年2月7日公開-

最終のあずさで帰ってきた。ラーメンが食べたくなって上諏訪駅からほど近い「北さん」へ。夜の十一時半に食べられるラーメン屋さんというと、ここが僕の唯一の選択肢となる。

 

十代の頃は、まだ自分の生活空間の中に気の利いたラーメン屋などあまり無かったように覚えている。当時の「ラーメン」と言えば、近所のラーメン屋に出前を頼むとラップをかけたやつが来て、しょうゆの味しかしないようなスープ中の伸びきった麺をすすった日曜の午後、、みたいな思い出しかない。

 

 

 

僕の「ラーメン文化」は、京都でスタートした。京都での学生生活のスタートを切った頃、できたばかりの友人から「めっちゃ旨いラーメン屋連れてったるわ」と誘われた。京都のラーメンと言うと、よく駅ビルの最上階にあるような「京風ラーメン」みたいな薄いのをイメージしていたのであまり気は進まなかったが、知り合ったばかりの彼の顔を立ててついていった。

 

それが、ご存知「天下一品」との出会いであった。左京区の北白川というところにある本店に連れて行かれ、店に入ったとたん、「今までに嗅いだことのない」匂いに驚いた。「ウッ!」となる人もいるであろう匂いだったが、僕は五感が無理やり開放されたような感覚を覚えた。

 

出てきたラーメンは、今まで見たことのない食べ物だった。今でも古い天一ファンは決まり文句のように「昔は箸がスープに乗った。」と遠い目をして語るが、大げさでも何でもなく、スープが液体ではなく半固体で、かつ表面張力がすごいので、箸を置いても箸が沈まなかった。 と、いうか、箸がスープに刺さった。

 

何しろスープの味が強烈だった。まずかすかなアンモニア臭が鼻腔をくすぐり、その後を理解不能な色々な旨みが七重にも八重にもなってかぶさってきた。口当たりはどろどろである。形容できない味なのだが、敢えて表現するなら、「とにかくめちゃくちゃ旨い」のだ。「超こってり」なのに豚骨などは一切使っておらず、野菜と鶏だけでスープを取っているので、「油」を感じない。

 

僕はそれ以来このラーメンにとりつかれてしまい、三日と空けずに通った。風邪をひきかけると無理にでも出かけていって、大盛りとライスを腹に押し込むと、本当に風邪が治った。どんな食べ物よりも栄養があると信じ、下宿生活の救世主として全幅の信頼を置いていた。

 

当時は京都でこのラーメンがブームになっており、本店はもちろん連日の行列。関西ネットのバラエティー番組では、「天一の味の解明」の特集、みたいな番組をしょっちゅうやっていた。

 

 

 

その十年後くらいから、天下一品は全国へフランチャイズ展開を始める。でかい工場で作られたスープがレトルトになって各店舗に送られるようになり、会社が大きくなるとともに天一のラーメンの原型は失われていった。今は何と北白川本店でさえも店でスープを作っていない。悲しいことだ。もちろん、箸は絶対スープにささらない。

 

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

0 Comments

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*