セミナー受講記【復刻版】-2008年12月19日公開-

セミナー受講記【復刻版】-2008年12月19日公開-

某「有名人」の経営者向けセミナー(講演会)に行った。今まで、この種のセミナーにはあまり出向いたことがなかった。別に意図あってではない。「何かに出会えるかも~」と無思考にセミナーに行きまくる人種をうっとおしいと思うことは多いが、セミナーや講演自体が嫌いというわけではない。

 

以前から少し気になっていたテーマだったことと、この間の賢者TVのパーティーでとても魅力のある経営者と知り合いになれたことに味をしめての「懇親会狙い」もあって、結構な額の会費を払った。

 

 

 

会場となった一流ホテルでは、ロビーの一番目立つところにそのセミナーのでかい看板が… さすが「有名人」のセミナー! これなら僕でも迷わない。

 

会場に入ると、「おーっ!人が多い」 既にほぼ満席である。思わず「人数×会費」を計算してしまう僕。浅ましい。

 

「僕のセミナーは高い。」「安セミナーは無駄。」と今日の「先生」が力説。そうだよねー、机の前に座ると反射的にマブタを閉じてしまう体質を持つ僕が、今日は払った料金の元を取ろうとランランだもの。そういえばうちも去年まで無料セミナーやってたよなぁ。

 

 

 

「先生」の講演は快調に進む。随所で著名人と仕事をしている例が出てくる。おっ、その人はよく知ってるぞ、あっ、その団体も… 先生のことは実はこれまであまり知らなかったけど… 有名人と仕事で絡むところから有名人への道が始まる、のだな。親密なお付き合いをされているベストセラー作家もたくさん登場。「先生」ご本人も、ベストセラー作家だそうだ。いいなぁ。執筆へのモチベーションがかなり上がった。早速セミナー効果だ!

 

一番後ろに座ったので、聴衆の反応が良く見える。背中や横顔から、熱狂的ファン然とした、というか「教祖様の話を拝聴している」的な聴き方をしているのが伝わってくる人たちが何人もいる。そうか、この人たちは、まずこの先生ありきでこの先生に会いたくて来ているんだ。横で寝ている人もいて、その対比がとてもシュールだ。

 

今日は寝ないでちゃんと聴いてるぞ。すごいぞ俺!! きっと話が有難いからに違いない。今日の話の中に、どこかで聴いたことがあるものが多いなぁ、とずっと考えていたら、うちのT取締役が僕に説教する時、いつも言ってることだった。Tよ 売れっ子先生になれるで!

 

 

 

講演の前半の終わり際、先生の「後半に話すことの中に、何百、何千万円の価値のあるところがあります。」とのお言葉に、俄然気合が入る僕。「この後とんでもない結果に…」とコマーシャルに入るTV番組に手に汗握る、のと同じくらい「思う壺」へ入っている。

 

休憩時間、コーヒーが飲み放題である。一流ホテルのコーヒー、ということで、たて続けに二杯飲んだら、気持ち悪くなった。ロビーへ出ると、先生の著書の即売会。人がわんわん群がっている。すげー ! 儲かりまんなぁ。

 

 

 

後半は、僕も結構引き込まれた。話の盛り上げ方はさすがだ。そして、もっと詳しく知ってみたいな… と思い始めたところで、講演は終わった。今日一番「さすが!」と思ったのがここだ。

 

「今日話したことは、大切なことの何百分の一なのですが…」と、先生。「何百分の一」にウン万円を取る。ウン万円のセミナーを著書販売やさらに高額なメンバーズシップへの導入と位置づける。これこそプロの「矜持」なのだと、皮肉でも何でもなく思う。自社開催セミナーで「自分の持っているものを少しでも多くかき集めてみんなに伝えよう…」としゃかりきになっているような僕とは、事業者 としての質があまりにも違う。

 

自分の価値を上手に高めて戦略的に売っていくというということは、体ひとつ頭ひとつで生きていく人間にとって、「あるべき姿」ではあると思う。僕のそこへの優先順位が今後どうなっていくか、は、別として。

 

 

 

 

何百~何千万円の価値があるところがどこだったか ❔ は、とうとうわからずじまいだった。きっとその頃は僕の集中力が限界を超えた状態になっていて、聞き逃してしまったに違いない。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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