コーヒー【復刻版】-2009年5月25日公開ー

コーヒー【復刻版】-2009年5月25日公開ー

お客様のところで出してもらったコーヒーに「クリープ」がついていた。僕はそのクリープをコーヒーに入れて飲んだ。多分、お客さんのところでコーヒーに何かを入れるのは初めてだ。話していた社長も「今日は入れるの?」みたいな感じだった、ように思えた。

 

僕は一日に十杯前後はコーヒーを飲む。基本的にはブラックで飲むのだが、「生クリーム」がついていると、半分くらい飲んだところで入れる。コーヒーの縦をつく香りが届く前の鼻腔が、乳脂肪の横に広がる甘いにおいで覆われる瞬間が素敵だ。

 

この感じは、「乳脂肪分」が高い生クリームでなければ得られない。乳脂肪分が五%にも満たない牛乳では駄目である。ましてや植物性のクリームなど入れると、僕にとっては「異物混入」になってしまう。

 

ところが、今世間で使われているポーションやパウダーのほとんどは植物性である。僕の知っている限りでは、動物性の(乳脂肪分の高い)コーヒーパウダーは「クリープ」しかない。クリープを入れると、生クリームを入れたときに準じた感覚を味わえるのだが、世間の健康志向の表れなのか、最近僕は、コーヒーにクリープがついてくる場面にあまり出会わない。

 

 

 

 

十五年ほど前、ある会社での支店長時代に初の部下になった女性の勤務初日のこと。日用品の買い物に行こうとしていた彼女に僕は「コーヒークリームはクリープにしてね」とお願いした、らしい。おまけに、「乳脂肪分」について熱心に説いた、らしい。ついでに「アイスクリームは八%以上、それ未満はアイスミルク🍦」などとアイスクリームの乳脂肪基準に関する知識まで披露した、らしい。

 

「私の初仕事はスーパーでクリープを探すことだった」と、彼女は後々まで周囲の笑いをとっていた。まあ、よく初日で辞めなかったものだ、と、今は思う。

 

 

 

 

美味しいコーヒーをゆったりした気分で楽しめる、銀の容器になみなみと注がれた生クリームがコーヒーに寄り添って出てくるような、、昔ながらの喫茶店やコーヒー専門店がめっきり減ってしまった。SやTやD系のE、など、エスプレッソベースのコーヒー主体の店にはどうも足が向かない。そもそも機械から出てくるコーヒーを飲む気がしない。

 

特に諏訪は喫茶店の数自体が少なくて寂しいのだが、そんな中で貴重な存在となっているのが、マックとミスドだ。

 

「マックのコーヒーは実は美味しいよ」は、ずいぶん巷で囁かれていたが、「プレミアムローストコーヒー」になってから本当に旨くなった。Sサイズ120円であれだけのものが飲めれば大満足である。一見コーヒーの味などに無関心な客層がコアになっているように見えるマックで、コーヒーに訴求力を植えつけたマックの新規顧客層開拓戦略はすごい。マック恐るべしだ。

 

ミスドが最近コーヒーをリニューアルしたことも僕にとっての大きな朗報である。「ミスドプレミアムブレンドコーヒー」の登場は、僕がバイトしていた頃からずっと不変だった「アメリカン」路線に別れを告げたという点で、大革命だと思う。他社に比べて割高感のあった262円という価格が、味が格段にあがったことで一気にリーズナブルに感じられるようになった。

 

もちろんマックもミスドも、「機械製」ではない。ピッチャーに入ったコーヒーには安心感を覚えるなあ。

 

 

 

諏訪のマックとミスドでは、場違いなおじさんが、夜な夜な一杯のコーヒーを求めて現れる ☕

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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