イメージトレーニング【復刻版】-2009年9月23日公開-

イメージトレーニング【復刻版】-2009年9月23日公開-

おっさんラグビーの不惑倶楽部から怪我で足が遠のき早二年である。その間に僕のパンツの色も紺に変わり(数えの四十代…白、五十代…紺)、試合の消息などのメールも途絶えていた。最近、ある先輩の気遣いでまたメーリングリストに入れてもらい、一日に何本も「ラグビー情報」が入ってくるようになった。

 

昨日のメールに先週の試合のレポートがあった。

 

「今日の試合で二選手がエキサイトしイエローカードが出ました。歳下の選手にハードタックルを受けて『まだまだだな!若造が!』と吐き捨てたある選手に、言われた後輩選手が『何をジジイが!』と言い返したことが原因だそうです。ちなみに二人とも八十代です。」

 

 

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しつこく月例の話だが… 上がり三ホールで四オーバーを打って優勝が逃げた。

 

七番の打ち下ろしのミドル。ティーショットにアイアンを握りながらボールは左の林へ。一瞬くらっとしたが、ボールがフェアウェイに出てきた。キャディーさんが「運が来てますよ」「優勝するときはこんなものですよ」とささやく。何とかパーを拾う。

 

八番打ち上げの短いミドルのティーショット。ドライバーで今日初めてミスショットが出た。やはり左の林のOB方向へまっしぐら。万事休す。暫定球を打って、祈る思いで林へ。 「ありましたあ!」 見つけてくれたキャディーさんが神に見えた。フェアウェイに出して三オン。ピンの上側二メートルにつける。

 

二回救われた。これはゴルフの神様が僕に優勝させたがっているのだと思った。いつもは冷たいのに… このホールもパーが見えた! と思った瞬間、今まで張り詰めていたものがふと緩んだ。あの時の緩み方を、今なおよく覚えている。 気の緩みがインパクトの緩みになったのだろうか、それまで鬼のような集中力によって体幹と一体になっていたパターが暴れた。ボールはカップを蹴ってこれでもかと転がり落ちる。

 

四メートルオーバー

 

「なんで下りをそんなに強く・・・」同伴競技者の何ともいえない表情が横目に見えた。

 

この瞬間、優勝が逃げた。

 

「んだよ。おめえはよう。二回も助けてやったのにもうシラネ」 神の声が聞こえたような気がした。

 

結局その八番と九番をダボとした。結果論だがその二ホールをパーで上がっておけば優勝を掴めたわけだ。

 

 

 

 

この月例の数日前から僕はイメージトレーニングを行っていた。その一環として、寝る前に十八ホールをイメージでラウンドした。目標のスコアを決めてどういうショットを打つかイメージしていく。昨夜までにこなしたラウンド数は、十は下らないと思う。

 

目標スコアに向けてイメージラウンドする意味は、その目標値を潜在意識の中に刷り込ませることにある。そして、「実際のラウンドでは、その目標スコアは忘れてプレーしなくてはいけない」が鉄則だ。ラウンド中に目標スコアに向けての計算が入ると、心や体が硬直するからである。

 

実は、あの八番のグリーン上で「パーが見えた」時、僕は気がついてしまった。「パーが取れれば、これまでの十七ホールのトータルスコアが昨夜と同じになる!!!」という恐るべき偶然(?)に。そして、「ここともう一つ『昨夜と同じように』パーを取ればイメージトレーニングの最大成果としての優勝が手に入る。」という現実に震えた瞬間、潜在意識のマックスを搾り出してきたそこまでのメンタルが、ふっと抜け緩んでしまったのだろう。

 

今回、イメージトレーニングというものを試してみて、意味と意義がよくわかった。出来過ぎの偶然があったりもしたが、自分のメンタルコンディションをここまで徹底的に客観視したことはなかったので、多少はその効果がスコアに影響したのかもしれない。

 

それにしても、ゴルフが「七割メンタル」のスポーツだとはよく言ったものだと思う。僕がこれほどゴルフにはまってしまったのは、真剣な競技の場で自分のメンタルと向き合うのが思いのほか楽しいからだと思う。

 

イメージトレーニングの成果は、「ポジティブシンキング」そのものに他ならない。

 

 

 

 

ポジティブシンキング… 今の僕には高すぎるハードルだが、それを求める努力だけは続けたいと思う。

 

八十になっても闘争心をもってラグビーやゴルフを続けられるように。

 

 

東京の世田谷に生まれ(昭和35年)鎌倉に育ちながら、高校卒業後に関西へ流れ、大学卒業時には立派な関西弁を話せるまでに成長する。大学で体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルが出来なくて干され、徹夜のバイトが監督にばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージーを抱いて泣きながら寝た。卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人達とプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に5年間の任期を終えて帰国。その後、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついに重度の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを活かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。「世間からの評価」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し今に至る。37歳の時に入社した人事系のコンサルティング会社でアセスメントセンターに出会って惚れ込み、これを生涯の仕事とすることを決意。39歳の時に今の会社を設立した。歳をとっても痛くて苦しいことが大好きな「変なおじさんたち」が集う中年ラグビーチーム(不惑倶楽部)に所属していたが、50を前にして捻挫をこじらせ距骨壊死というややこしい状態に陥って離脱。10年間手術を公言し続けるも諸事情で実現せず「切る切る詐欺」と揶揄されてきたが、還暦を直前に控えた2019年の暮れに突如人口距骨への部品交換を決行した。「これでラグビーもゴルフもばっちりだぜ!」と、元々の技量と加齢という現実を忘れて妄想中。

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