関西出張。
まだ糖尿にはなっていないとわかっても、あれだけ糖尿に怯えてしまうと、糖質やカロリーの摂取に制御がかかる。関西に来ているのに、こんなに食へのアグレッシブさを欠いている自分に驚く。
そうは言っても心が枯れてしまってはいけないので、せめて夕食ぐらいは… と思い、仕事が終わると雨の中をタクシーで行きつけのお好み焼きやさんへ。
そのお好み焼き屋は、大学時代、塾講師のアルバイトの帰りに豚モダンとビールで一服していたところだ。今でもその店に行くのは懐かしいからではなく、その店のお好みが一番美味しいと信じているから。
今日も、豚モダンを頼み、少し迷って「生小 🍺」と注文。「小」を頼むところが我ながらいじらしい。
やっぱウマイわ この店は。 元気が出た! 他のお客さんは三組。それぞれ、店のおばちゃんと関西らしいコミュニケーションを取りながらくつろいでいる。僕は「小ビール」の残量を気にしながら黙々とお好みを頬張る。
外は大降りになってきた。一組、また一組と、帰っていく常連さん。「傘持ってる?」と見送るおばちゃん。傘を持ってこなかった僕は、「おばちゃん、僕に雨の心配してくれるかな」と、少し気にしながら、鉄板に落ちた焼きそばをすする。
気がつくと客は僕一人になっていた。この店は二十代はじめの数年間、ほぼ毎週通っていた店なのに、その時からこのおばちゃんはここでお好みを焼いてたのに… 僕はこのおばちゃんと会話をしたことが一度も無い。別に理由はないのだが、強いて言えば当時の僕が関西の文化に馴染めない関西の住人だったからだろうか。だから、それから二十年以上の時を経てこの店へ来ている僕を、おばちゃんは昔の常連と認識していない。
「オアイソお願いしまぁす。」と席を立つ。「傘持ってはる ?」とおばちゃん。「僕ここの人間と違うから返しに来られへんよ。」というエセ関西弁が呼び水になり、僕の口から「二十年以上前によく来とったんですよ」というせりふが不思議なほど自然に飛び出した。四半世紀を経て初めて交わす「ごちそうさま」と「おおきに」以外の会話。
「そろそろ帰るわ」と僕が二度目のお暇を告げたのはそれから三十分後だった。おばちゃんはよくしゃべった。ついこの間開店二十五周年のお祝いをやったこと、昔の常連さんが時々顔を出してくれると「もうちょっと頑張ろう」と元気が出ること、そして昔のお店の思い出話… その頃は店にたくさんバイトの若者がいてにぎやかだった。僕と同年代の彼らが時々遊びに来るのを、おばちゃんは里帰りの子供を待つような気持ちで迎えるそうだ。「私、子供おらんもんで…」
今はひとりで鉄板に向かうおばちゃん。鉄砲のような語り口は「関西のおばちゃん」そのもので、昔、難波の喫茶店で彼女と口喧嘩をしてたら、横の席にいたおばちゃんから「あんたが悪いわ」と叱られたのを思い出した。でも、あらためてお水を出して今日最後の客の相手をするおばちゃんの笑顔は、少し寂しそうだ。
店を出ると雨はだいぶ小降りになっていたが、傘は「捨ててもらってええから」とのお言葉に甘えて借りることにした。僕がタクシーを拾って乗り込むまで、おばちゃんは店の前で見送ってくれた。