概念化能力へのアプローチ その1

概念化能力へのアプローチ その1

応募者を観察する採用担当者は、ほぼ例外なく、その応募者の「頭の良さ」を知りたいと考えています。「頭の良さ」は、大別すると「学力の高さ」と「概念化能力(思考力)の高さ」とに分かれますが、簡単に言えば、「前者は既知領域の作業を覚えてこなす時に有効で、後者は未知領域において自ら方向を定め自力で動く時に有効」です。もちろん仕事にはどちらの頭の良さも必要ですが、自分の頭で考え、自分の足で動き、自分の力で生産性を確保することができる「自立型人間」を求める会社なら、当然、「概念化能力」をターゲットに定めることになります。

 

しかし、イメージでは「自立型」を採用したいのに、実際は「学力」の方に視点を定めてしまう採用関係者がどうしても多くなり、その結果「採用ミス」が連発されます。「頭が良い」ことを確信して採用に踏み切った数か月後に、「自分で何にも考えられない奴を配属しよった」というような現場の恨み節を事あるごとに聞かされることになるのです。

 

「学力」なら、在籍する大学からだいたい判断できるでしょうし、適性検査などの結果にも反映されやすいので、見極めは容易です。しかし、一方の概念化能力について言うと、学力とはほとんど因果関係を持たない上に、「可視性」と「識別性」が極めて低いという厄介な特性があります。プロのアセッサーでも、この「概念化能力」を診断する時が最も精度の担保に心を砕きます。そんな難しい対象に「アセスメント外の採用選考」という平時の場面で向き合わなくてはならないのですから、世の中の採用担当者の皆さんは、実はとんでもない「無理難題」を背負わされているのです。

 

アセスメントを使わない採用選考場面で「概念化能力」を観ようとするなら、なるべく数多くの「視点」を用意して臨まなければ、それは無謀な取り組みになります。何にも用意せず、自分の常識と通念だけに頼って応募者の「仕事頭」を見極めようとすると、「受験頭」を駆使した「自分の心の弱さや頭の怠慢を取り繕うとする人間の技術」に翻弄されます。

 

概念化能力を観察しようとする採用関係者が本来守るべきスタンスは、「応募者の発言内容や情報処理に思考を寄せ過ぎず、前回までご紹介してきたような『対象に向き合う力へのアプローチ』を実践し続ける」だと思います。でも、アセスメントの場ほど潤沢な情報が揃うわけでは無い通常の採用選考の場においては、少しでも多様な視点を持って場に臨み、少しでも多くの有効情報をキャッチすることが何よりも大事であるということも、また事実です。

 

というわけで、今日から何回かに分けて、私が日常的に使っている「概念化能力にダイレクトにアプローチする視点」を紹介していきます。その中には、前回までのコラムで紹介してきたような、取り組む行動から心の状態を知ろうとする「鉄板」と呼べるような視点ばかりではなく、多用すると、論理誤差のリスクが高まるようなものも含まれています。これらの「視点」から得られるものについては、あくまでも情報統合の材料を増やすことを目的とした「一情報」と位置付けてください。

 

 

 

 

① 概念ばかりを投げ続けた時の表情や態度を観察する

 

私は、アセスメントの講義などで受講者や応募者の前に立つ時、必ず、「概念的な話だけしかしない時間」を作ります。自分の中である程度まとまった「概念発信タイム」を確保して、「理念っぽい」「哲学めいた」ことなどを理論的に語り、具体性のある内容は一切排除するのです。これに向き合う表情や態度が、各自の「概念化能力」のレベルを推察するのにとても役に立ちます。そこで得た情報は、他の行動情報と統合されて機能することが多いのですが、「目が泳ぐ」「嫌悪感を顕わにする」「こちらと目を一切合わさなくなる」といった、決定的な行動情報をいただけることも少なくありません。

 

概念ばかりの発信を浴びせられた時、人の反応は大体4通りに分かれます。「本当に理解した時にだけ自然な反応行動を見せる」「一生懸命理解を図るも、発信の意味や全体観の把握に苦戦している様子が窺える」「最初から最後まで『私はわかってますよ』という顕示的な反応行動を繰り返す」「何も理解できない状況を嫌い、(心が)そこにいなくなる」

 

3つ目と4つ目がはっきり見えたら、概念化能力欠如はほぼ決定的です。(他の情報とのすり合わせは絶対に必要ですが)ちなみに、最も当てはまる人が多いのは3つ目で、断トツです。

 

それに対して、1つ目と2つ目に関しては、それが見えたとしても診断確定までは長い道のりになることがほとんどです。特に2つ目は、プロアセッサーをも苦しめるのに十分な行動情報です。「『悩む』は思考の必要条件だし」「でも十分条件ではないし」「思考意欲はあっても概念化に至らない可能性はあるし」「あるいは内面で思考プロセスを確実に踏んでいるかもしれないし」 結局、この場で本当のところをはっきりさせる術は、多分ありません。本人に尋ねてみてもわからないかもしれません。「思考意欲」が喚起されているように見えるこのような行動情報は、他の多くの情報と統合されなければ、結論づけはかなわない性格のものなのです。

 

「概念の時間」を終え、具体性のある話をし始めると、気のせいか、場にほっとしたような空気が流れます。それだけ「概念の世界」は、一般の人にとって「付き合いにくい世界」になってしまっているのかもしれません。「概念の世界」に放り出された時と「具体の世界」で安心していられる時とでは、各自の見せる表情や態度に多かれ少なかれ差が生まれますが、その「差」も、概念化能力評価への有効情報となります。

 

これは、人の「概念化との親和性」を知るためには、とても有効な方法です。概念化に対して親和的でない人が自分で概念化に動く事はあり得ないので、この方法は、すなわちその人の「概念化能力」を見極める手段にもなります。「概念的な話だけをする」と言ってもあまり難しく考える必要はありません。「具体」の出てこない話なら何でも…「夢やロマン」でもOKです。

 

 

 

 

② 一心不乱に絶え間なく貴方の話を「メモる」人は、いつ貴方の話を理解するのか?

 

講義や講演で話す時、聴衆の中に、私の顔など一切見ることなく、ずーっとメモを取り続けている人が結構な割合でいらっしゃいます。たまに「ここはメモをとるような話ではないから、気楽に聴いてくださいね」などといじわるを言ってみると、皆さん一度はメモを置くものの、しばらくすると、相当数の人たちが、少しだけ気まずそうに「メモ復活!」となります。

 

 

メディアの取材や営業の人からのヒヤリングなどを受けることがたまにありますが、頑張ってコンセプトを伝えようと話し始めたとたん、一心不乱にメモを取り始めるのが目に入ってしまうと、急にテンションが下がってしまうのは私の我儘でしょうか?

 

話をしているこちらに一瞥もくれずにメモに精を出す人に対して、話をする気が失せてしまう理由は、「そんなにずっとメモばかりしてたら、『理解のための思考』ができないじゃん」と思うからです。「自分の話を理解する気が無い人に話をするのがイヤ」なのです。

 

 

話を聴く人に求められることは、時に「話の内容を理解する事」であり、時に「話されたことを覚えておく事」です。後者の場合は、メモが必要です。しかし、前者の場合、すなわち、次々と発信される言葉をキャッチして内容を理解し全体を把握しなくてはならない場合には、「情報を処理し、思考をしながら聴く」ことが必要でしょう。また、思考する人は情報をより広く集積しようとするので、話し手を凝視して、非言語情報も得ようとするものです。しっかり話し手の言いたいことを理解しようと思えば、話し手に全力で向き合いたくなるはずで、メモに注力する余地など無いはず…。話し手を見ない「メモ魔」の人たちは、「とにかくメモしなければ…」という一種の強迫観念のようなものからそうしているのでしょうが、情報に接した時に思考に向かう習慣や文化を持つ人なら、そうはならないと思うのです。

 

社内アセスメントやアセッサー養成をやっていて実感するのですが、概念化能力のある人は、概して必要最低限しかメモを取りません。もちろん、「覚えておかなくてはならないこと」や「思考の材料として特に重要と思えた情報」がある時には、しっかりとメモを残しますが、それでも話し手との正対は常に維持されます。

 

「概念化能力」と「メモを取るという行動」との因果関係は、私の中では決して小さくありません。

 

 

 

 

③いつも反応が速く何を尋ねても「即答」する人は、いつ思考するのか?

 

採用選考に携わる人の多くが、打てば響くような「反応の速い人」が大好きです。面接での問いかけに間髪入れず答えてくれるような応募者には、それだけで「頭がいい人」のお墨付きを与えてしまったりします。しかし、残念ながらその「頭の良さ」は本来会社が求めなくてはいけないものとは別物であり、その「お墨付き」の多くが「採用ミス」に繋がってしまっている現実があります。

 

「即応」「即答」の人は、何かを問われると、まず自分の頭の中を「探す」という行動を選択します。蓄えてある多くの「知識」や「解答例」から適当なものを探して速やかに表出するのです。このようなタイプの人は、「時間をかけて情報を処理する」という行動とは無縁の人が多く、「概念化能力」という概念とは遠いところに位置します。

 

人は二十歳くらいにもなると、課題に対した時に、「探そうとする」人間と「考えようとする」人間とに分かれます。知識を問われる場面での「即応」「即答」は生産性を持ちますが、思考を求められる場面でもそのスタイルを貫く人は、自分が「考えない人間」であることを公言しているようなものです。残念ながら、わが国の採用現場には、昔からそんな人を喜んで採用してしまう空気がありました。また、そんな「スピード礼賛」の文化が、「考えないで探す人」を増やしてきたという側面も否定できません。

 

 

アセスメントのグループ討議に取り組む人たちの概念化能力を見極めようとする時、私たちは、発言の直前の取り組みに着目します。

 

向き合うべき情報に向き合い、その情報群から新たな概念を産み出そうとする「考える人」は、それなりにエネルギーを使い、それなりの辛苦を経て、「発信」に辿り着きます。当然、最後の情報を得てから次の発信に至るまでに、情報を処理して思考するための「時間」が必要となります。

 

一方、エネルギーをそれほど使うことなく「発信」する人もいます。今与えられている情報に向き合うことを避け、頭の中に保存してある「経験知」や「理論の雛型」などから、その場でそれっぽく絡みそうなものを探して、それをそのまま発信するのです。学力のある人にとって、自分の豊富な「持ち物」を思い出して引っ張り出すのにそれほど苦労を必要とせず、発信までに「時間」がかかることもありません。

 

言うまでもなく、前者が、「概念化能力のある人」の発信前の取り組みであり、後者は「無い人」のそれです。

 

 

このアプローチは、アセスメントにおける概念化能力を見極める視点として極めて重要なものであり、精度を担保する上でとても頼りになるものです。アセスメント外で人を観る際にも、このアプローチの概念を踏まえて「発信までの間」に何が行われているかを一生懸命推察してみてください。それが、概念化能力という見えにくいものに近づくための王道のひとつです。少なくても、「発信までの間」を持たない人を有難がることは無くなると思います。

 

 

とりあえず、今日は3つご紹介しました。次回に続きます。


東京で生まれ(1960年)、鎌倉で育ちながら、京都に憧れて高校卒業後に関西へ流れるが、何故か大阪の大学(関西大学法学部)へ入る。 念願の体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルができなくて干され、徹夜のバイトがばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人たちとプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に、5年間の任期を終えて帰国。 「国際人の俺様にはもっと大きい会社がふさわしいのさ」と、わけのわからないことをつぶやきながら、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついには重症の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく、「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを生かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。 「世間からの見られ方」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し、今に至る。37歳の時に入社した人事系コンサルティング会社で「アセスメントセンター」に出会って惚れ込み、これを生涯の生業とすることを決意。39歳の時に、今の会社を設立した。 50歳近くまで続けていたラグビーだったが、試合で足首をややこしく負傷してしまって以来、プレーをしていない。復帰するには手術が必要で、数年前から「今度手術するんですぅ」とあちこちで触れ回っているが、諸事情で延期が繰り返され、周囲からは「切る切る詐欺」の声が聞こえ始めている。

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