ずい分と間が空いてしまいましたが、「概念化能力を見極める視点」の第2弾です。
④「言葉の取り繕い」の有無を観る
前回、問いかけに対して即答せずに時間をかけることを肯定的に述べましたが、もちろん、無駄で非生産的な時間のかけ方もあります。特に、「面接」や「インタビュー」など多少かしこまった場面で、発信の体裁を取り繕うおうとする意識が最優先される人をよく目にしますが、これなど「非生産的」の最たるものだと思います。
問いかけられたことに対し、真正面から向き合うと、きっと対応に時間がかかります。一方、問いかけられた事に向き合うことよりも、「格好いいことを言わなくては」「賢く見られなくては」などいう「見られ方を気にする気持ち」が優先されてしまう場合も、やはり起動までに時間がかかるし、その後の発信もスムースに進みません。
見られ方を気にする人は、必要以上に「型」を気にします。そして、その型に執着してあるべき姿を演じようとします。以前に述べた「型依存」と「自己不一致」という概念がここに絡みます。「目の前にある課題に向き合い、自力で考え、自分の言葉で話す」ということができない人や、その自信が無い人の多くは、「発信の雛型」にすがることになります。その雛型を探すことで発信までに時間がかかり、その雛型を使うことで「取ってつけたような」「心の伝わらない」発信となるのです。
テレビのインタビューを受けている人の受け答えを聞いていると、常に「~という風に思います」「~という形になります」などのお決まりのセンテンスで発言を締める人が多いことにお気づきでしょうか。これが「雛型への依存」です。コンビニやファミレスでの日常用語となった「おつりになります」「コーヒーになります」の「なります締め」もその類と言えるでしょう。「とにかくこの言い方で締めておけば安心」というような話し手の心持ちが想像できるのですが、話の内容と整合しなくなっていることが多く、納得性や信頼性を大幅に減じてしまいます。
今やるべきことに向き合い、自分の発信そのものにも向き合える人は、発信内容の本質を損ねてしまいかねないような「依存」には、まず傾くことがありません。アセスメントの中で、自由な心で対象に向き合い、概念化能力を有する人は、「時間配分をどうするか」「議論をどうすすめるか」などばかりに気を取られている多くのメンバーたちを尻目に、何の無駄も無理も力みもなく、外連味ない起動を見せます。私たちプロアセッサーは、「すーっとしゃべりだす」と表現しますが、この行動は、余計な「自己目的行動」に邪魔されることなく、向き合うべきものに向き合うことができる人特有のものです。グループ討議の開始早々その行動が見えると、私たちの中には、その人の概念化能力や成果管理能力への期待が広がるのです。
概念化能力を有する「仕事頭の良い人」は、何に執着することもなく自由な心で発信するので、「発信の雛型」などに目もくれません。私たちは顧客各社で計100名ほどの社内アセッサーと接していますが、選ばれた人たちだけあって、前述のような「取り繕った発信」をする人は、見事にひとりもいません。皆さん、話したいことだけを自分の言葉で話すので、表現の巧拙など関係なく、言いたいことがシンプルに伝わります。
アセスメント外で「概念化能力」を見極めようとする時、私が最も多用するのが、この「言葉の取り繕いの有無を観る」という視点です。
「頭のいい人は単純化を目指し、そうでない人は複雑化を目指す」
この概念がすっと胸に落ちるようになると、人を観る目が安定します。