私とアセスメント その8  採らないことの価値

私とアセスメント その8  採らないことの価値

2007年くらいまでは、私たちが行うアセスメントと言えば、「能力開発型」のアセスメントでした。そのころには、かつての「受講者から嫌われるアセスメント」は影を潜め、たくさんの笑顔が見られる相互交流型のアセスメントを運営できるようになっていました。日頃目立たなかった参加者の潜在能力が大きく開花する場面に立ち会うのは、とても楽しいことでした。しかし一方で、当時の「能力開発型」は比較的大きな組織で実施されることが多く、そこには心血注いだアセスメントの結果が経営者の判断や意思決定に今一つ反映されにくいという現実がありました。10年ほど前に大手のアセスメント会社に在籍していた時と同じ違和感が私の心に芽生え始め、「経営に影響力のあるアセスメントをやりたい」と思って独立したのにその部分で頑張れていない状況を、苛立たしく感じていました。

 

そんな時、ある会社から「採用アセスメント」の話が飛び込みます。地方の山あいにある小さな会社でした。その頃の私たちには「採用アセスメント」の実績はまだほとんどありませんでしたし、「従業員数名の小さな会社でのアセスメント」も新鮮でした。アルバイトさんだけしかいなかったその会社にとって、アセスメントをやって正社員を採用するという「プロジェクト」は一大事だったようで、社長の気合は怖いほどでした。「こんな田舎で応募者を集められるのかな」という私たちの心配をよそに、あっという間に6名の応募者が集められたのには驚きました。その社長の趣味がマーケティングだったことを知ったのは少し後の事でした。

 

当時、私たちの採用アセスメントは、応募者全員が3つの演習に4時間かけて取り組むヘビーなもので、費用は応募者1名につき10万円でした。アセスメント当日、6名の応募者はいきなりの「荒行」に戸惑いながらも最後まで自分たちなりに頑張ってくれましたが、その会社の求める要件を持ち合わせる方は残念ながらいらっしゃいませんでした。私たちのフィードバックを聞いて「わかりました」と呟いた社長は、その瞬間、誰も採用できないアセスメントに60万円支払うことが決定しました。今までに経験したことの無い重圧を感じていた私に社長はさらっと言いました。「採らないことの価値…ですね」「また人を集めますので再来月くらいにお願いします」

 

採用要件を満たす人と出会えるまで通過者ゼロの採用アセスメントを繰り返すのは、今でこそ当たり前の採用プロセスになってしまっていますが、あの時の私は「通過者ゼロ」という事態に浮足立ち、妥協への道を探ろうとしていました。しかし社長のあの毅然とした態度に触れたことで、私はかろうじて正当性と合理性を守ることができました。やはり後でわかったことですが、その社長は数年前に唯一の社員だった人と労働問題で揉めてしまい多額のお金を払って辞めてもらうという不幸な出来事を経験していたのです。「痛い思いをした経営者ほどリスクマネジメントの価値を知る」という概念が、その時私の胸に刻みこまれました。

 

2ヶ月後に再度行われたアセスメントでは、幸い1人の逸材を獲得できました。結局その会社の採用アセスメントは約1年間にわたって実施され、その結果合計4名の女性が採用されました。私たちの執念が実ってか、どの方も採用後に期待通り(以上?)の生産性を挙げてくれました。自立した人を求め続け、産みの苦しみを経て思い通りの人材を得ることができた社長は、その後しばらくして「現場はすべてお前たちに任せる」と宣言し、自分は社長業に100%専念できるようになりました。その会社と仕事をしている時、そしてその会社のアセスメント後の成果を見聞きする時、私は自分たちの注力が会社の変化に繋がっていくことへの大きなやりがいを感じ、自分たちのあるべき姿を確認することができたのを覚えています。

 

 

会社の方向性が定まると、採用アセスメントの仕事が面白いように増えていきましたが、そんな中である会社から「新卒採用にアセスメントを使えないか」という相談がありました。アセスメント業界には、「アセスメントセンターはマネジメント能力を診断するもの」という固定観念がありましたが、私たちには過去に新入社員をアセスメントしたり自治体の新入社員研修でアセスメント演習を取り入れたりした経験が多数あり、その有用性を確認していましたので、何の不安もありませんでした。そしてその時に、多数の選考母集団に対応するための手段として、「まずグループ討議だけを1次選考として実施し、通過者に対してのみ2次選考として面接演習とインバスケットを実施する」という今の形を作りました。それ以来「新卒採用アセスメント」は私たちの目玉商品となって、2010年度にアセスメントした大学生の数は約2500名にまで達しました。臨床を積み重ねる中で、採用基準の体系化が進み、採用アセスメントの精度が安定していきました。

 

 

振り返ってみると、私たちの採用アセスメントを導入していただいている社長さんのほとんどが、「あの社長」と同じように、「人の問題でそれまで何度も痛い思いをしてきた」方々です。過去の傷をリスクマネジメントの信念に昇華させている経営者は「妥協なき採用」に耐えられるのだと、「あの日」から10年が経った今、あらためて思います。「採れないアセスメント」に接した社長さんからは、今も異口同音に「採らないことの価値」が語られます。

 

「あの学生、アセスメントしてなければ採用しちゃってたよね」

「説明会であんなに感じが良かったあの学生が、あんな風になっちゃうんだね」

「変な人採用したら後が本当に大変だからね」

 

日々「通過者のいないアセスメント」が繰り返される今ですが、小心者の私はその毎回に強いストレスを感じます。でも、そんな言葉をいただけるから、そしてようやく待ち人が来た時、我慢した分だけみんな大きな笑顔になれるから、私はこの仕事を続けていられます。

東京で生まれ(1960年)、鎌倉で育ちながら、京都に憧れて高校卒業後に関西へ流れるが、何故か大阪の大学(関西大学法学部)へ入る。 念願の体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルができなくて干され、徹夜のバイトがばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人たちとプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に、5年間の任期を終えて帰国。 「国際人の俺様にはもっと大きい会社がふさわしいのさ」と、わけのわからないことをつぶやきながら、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついには重症の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく、「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを生かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。 「世間からの見られ方」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し、今に至る。37歳の時に入社した人事系コンサルティング会社で「アセスメントセンター」に出会って惚れ込み、これを生涯の生業とすることを決意。39歳の時に、今の会社を設立した。 50歳近くまで続けていたラグビーだったが、試合で足首をややこしく負傷してしまって以来、プレーをしていない。復帰するには手術が必要で、数年前から「今度手術するんですぅ」とあちこちで触れ回っているが、諸事情で延期が繰り返され、周囲からは「切る切る詐欺」の声が聞こえ始めている。

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