「無理」や「無駄」に溢れる行動 その2 相槌

「無理」や「無駄」に溢れる行動 その2 相槌

前回の「うなずき」に付帯することが多い行動があります。「相槌」です。厳密に言えば「うなずき」も相槌に含まれますが、ここでの相槌は「言葉」を伴うものとします。

 

「相槌は、会話の潤滑油としてなくてはならないものである」と多くの人に刷り込まれているようで、特に1対1の場面で、「とりあえず相槌は打たなくては…」と、「うなずき」同様「まず相槌ありき」となってしまっている人が少なくありません。

 

そもそも相槌は、聞き手が会話に積極的に参加していることを示すことで話者を安心させるためにあります。短い間投詞であっても、まとまったセンテンスであっても、「相手を安心させる」という本来の目的を果たそうとするものであるなら、相手の話をしっかり聴いて「相手が本当に言いたいこと」に心を寄せた結果の発信でなくてはなりません。相手が話し終えるまでしっかり聴いて、そこから思考をスタートさせて相手の本意を絞り込んでいかなくてはいけないはずなのに、相手が話し終えるのを待てずに言葉をかぶせたり、話の流れが反映されない定型的な間投詞ばかりを繰り返したりする人の方ばかりが目についてしまうのはどうしたものでしょう。

 

 

 

だいぶ昔になりますが、カウンセリングを学ぶスクーリングに通ったことがあります。そのカリキュラムは、「相手の心情に寄り添い相手の心を援助する手法」を学ぶことに多くの時間が割かれていました。具体的には、「相槌の打ち方を学ぶ」ような内容だったと覚えています。本来の教えは、「相手の本当に言いたいことを言い換えて口にしてあげなさい」ということだったのだと思うのですが、ほとんどの生徒がやっていたことは、いわゆる「オウム返し」でした。

 

「会社を辞めることにしようと思うんです」

「会社を辞めることにしたんですね」

・・・・・・(い、いま、そう言いましたけど…)

 

たった今自分が口にしたことをそのまま繰り返されたら、たいていの人がいらつくと思うのですが、私のいたクラスでは、いつしか「オウム返し」がスタンダードになっていました。

 

 

 

アセスメントセンターには、面接演習という「1対1で部下を説得する」という設定のプログラムがあるのですが、ある販売会社で営業社員を対象としたアセスメント研修を実施した時のこと、その面接演習に臨んだ参加者が、一人残らず、あの「オウム返し」を貫いたのには驚きました。何を言ってもその言葉がそのまま戻ってくるという不毛で不思議な世界を10人分も経験した部下役のコンサルタントは、「途中から目が回った」そうです。

 

後で社長に聞いてみると、その会社は営業社員を対象としたロープレ研修にとても力を入れていたようなのです。推察するに、その研修の講師に「お客様のおっしゃったことに寄り添ってあげてください」などと指導され、営業の皆さんが自分なりにその概念を落とし込んだ先が「お客様の言葉を繰り返す」という恐るべき方法論であり、それがロープレの繰り返しによって「自分たちのもの」に固められたのではないでしょうか。

 

 

 

 

「相手の心に寄り添いなさい」は、「相手の言いたいことの本質を理解しなさい」と同意だと思います。そこには、情報を集めて統合する「概念化能力」が必要になるのですが、いつも私たちがお伝えしているように、「概念化能力の高い人」が極めて希少になっているのがわが国の現状です。「相手の心に寄り添いなさい」と言うのは簡単ですが、そこには「その本当の意味を理解しそれを実践できる概念化能力の持ち主は決して多くない!」というお国の大問題がついてくるのだということを、多くの人が知りません。

 

「寄り添いなさい」で済んでいれば見えないかもしれない「その大問題」も、「寄り添った結果を口にしてあげなさい」と言われることで広く顕在化してしまいます。相手からの情報を集めてまとめ上げる「概念化」が苦手な人は、相手が満足するような要約や言い換えも大の苦手です。そんな人たちが無理に「相槌」を打とうとすれば、当然ながら一番重要なはずの「概念化」から遠いところに力を注ごうとするでしょう。自分にはできない難しいことから逃げ、相手と向き合うところから離れて、自分のやりたいような、やりやすいような注力に舵を切るはずです。

 

話をかぶせるのは、相手が話している間中、次に自分が話す内容や段取りのことばかり考えているからです。話の流れが反映されない相槌を繰り返すのは、相手と向き合うことから逃げて、自分が勝手に決めた会話の「型」に依存するからです。「人に向き合う」という大切なことから逃げてしまう心の弱さが、「不毛な相槌」「不快な相槌」の大量発生を産み出していることに、疑いを挟む余地はありません。

 

 

 

あのカウンセリング教育や営業研修が教えたかったことは、決して間違いではないと思うのです。問題は、本当は一握りの人間にしかできないような難しいことを、広く一般に対して、その本質を教えずに「とにかくやれ」と言っているところにあるのではないでしょうか。「相手に向き合う」「相手からの情報に向き合う」「相手からの情報を集める」「相手からの情報を統合させる」という概念化のプロセスの存在や意義や必要性に全く触れないまま「人と向き合え」「心に寄り添え」と言われれば、概念化が体に染みついているわけでは無い多数派の人たちは、相手と向き合うことを避け、自分が実践しやすい安易な行動に走るしかありません。

 

きちんと相手に向き合える人が少ないわが国の現状については、「心の成熟の遅れ」や「利他的な価値観の喪失」といった個々の心や価値観の変化に起因する、構造的な問題として考える必要があります。でも一方で、本当に大切なものに触れぬまま、「心に寄り添え」などといたずらに美しくかっこいいテーマを掲げて、結果的に大衆の安易安直な行動を喚起してしまっている人や組織、そして世の中全体の雰囲気に対しても、もう少し検証の目が集まって然るべきだと考えます。

 

 

 

「人を観る」というテーマから少し離れてしまいました。

 

上述のテーマは、マクロに捉えると、とてつもなく重いものになってしまいますが、「人を観る視点」を考える上では、シンプルに役に立ちます。1対1で対峙した相手の相槌が、うるさかったり、邪魔だなと感じたり、とにかくそこに「無理」や「無駄」を感じる時間が続いたなら、その人の「対象に向き合う力」に問題がある可能性が大です。当然、その向こうに見えるものは、その人の「概念化能力(考える力)の欠如」です。日常の平時において概念化能力の水準を推し量ろうとする時、「相槌」への視点の絞り込みは、ある程度の精度を確保できる有効な手段だと思います。

 

「うなずき」「相槌」「愛想笑い」は、主に1対1の場面においてセットで現れ、その人の仕事力が低ければ低いほど、それらの行動から「無理」と「無駄」が発する負のエネルギーが大量に発生して、相手のテンションを下げ、その場の生産性を低下させます。逆に、その人が対象に向き合うことができる「仕事力の高い人」であれば、そのセットは必要最小限に縮小され、真摯な思考が生み出す「熱」と、無理や無駄とは無縁の「自然体」が、相手に信頼感と安心感を与えます。

 

 

 

ところで、ひとつ大きな心配事があります。今、企業人事を始めとする「人を観る」役割を背負う人たちの中に、「大きなうなずき」「派手な相槌」「こぼれんばかりの愛想笑い」に慣れてしまっている人が少なくないのでは、という危惧です。

 

「迎合」と「作り笑い」に満ちた言動を「求められる対人スキル」と捉えるに至った採用担当者の目には、やっと現れた「自然体の逸材」が、「社交性に欠けた不愛想な人」と映りかねません。

 

 


東京で生まれ(1960年)、鎌倉で育ちながら、京都に憧れて高校卒業後に関西へ流れるが、何故か大阪の大学(関西大学法学部)へ入る。 念願の体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルができなくて干され、徹夜のバイトがばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人たちとプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に、5年間の任期を終えて帰国。 「国際人の俺様にはもっと大きい会社がふさわしいのさ」と、わけのわからないことをつぶやきながら、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついには重症の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく、「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを生かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。 「世間からの見られ方」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し、今に至る。37歳の時に入社した人事系コンサルティング会社で「アセスメントセンター」に出会って惚れ込み、これを生涯の生業とすることを決意。39歳の時に、今の会社を設立した。 50歳近くまで続けていたラグビーだったが、試合で足首をややこしく負傷してしまって以来、プレーをしていない。復帰するには手術が必要で、数年前から「今度手術するんですぅ」とあちこちで触れ回っているが、諸事情で延期が繰り返され、周囲からは「切る切る詐欺」の声が聞こえ始めている。

0 Comments

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*