「内向」と「外向」を繰り返す人を探せ

「内向」と「外向」を繰り返す人を探せ

人は、頭の中で概念化のような複雑な情報処理を行っている時、外からの刺激を絶ってそこに集中しなくてはなりません。この時の「意識が全て自分の中に向かっている状態」が「内向」です。アセスメントのグループ討議で、「内向」の状態に入っている人は、ほとんどが前のめりで、情報が書かれている紙を食い入るように見入っています。A4用紙2枚にびっしりと書かれたかなりの量の情報から、必要な情報を集め選び統合しようとしているのです。それは、未知領域で概念化することを選択した人が必ず通る道であり、そのエネルギーを頭に集中させているような様こそが、その人が概念化に舵を切った証拠なのです。

 

一方、人が内向している時には、一切の意識が外に向いていません。つまり、その間には他のメンバーからの新たな情報が全く入って来ないことになります。内向する時間は概念化のために必要不可欠なものではありますが、その時間が長すぎると外からの情報の供給が絶たれる時間もまた長くなり、頭の中が情報不足の状態になります。グループ討議で、頻繁に見られる光景のひとつに「長すぎる内向」があります。情報紙に目を落としたまま、まったく他のメンバーを見ない状況が何分も続きます。そんな時、その人の頭の中では、多分「堂々巡り」が起こっているのでしょう。限られた情報の中で概念化を図るも、理論構築に向けて打開が困難な状況になっているのだと思われます。そこに新たな情報が供給されれば、また概念化のサイクルを再起動させることが可能になるかもしれないのに、長い「内向」が新たな情報供給を阻んでしまう状況では、その堂々巡りにけりがつくことはないでしょう。

 

モノを考える(概念化する)には、内向というプロセスが必須であることは間違いありません。しかし、そこに新たな情報を供給するためには、意識を外に向けた状態、いわゆる「外向」の機会も作らないと、概念化が活性化しません。そこが非常に難しいところなのですが、アセスメントで「概念化能力に優れる」と診断されるような人は、実は、50分のグループ討議の中で、短時間ながら確実な「内向」と積極的な「外向」を交互に繰り返しています。本当に優秀な人は、情報処理のための「内向」と情報供給のための「外向」をバランスよく繰り返して、常に潤沢な情報を取り扱う生産的な概念化を実現できるのです。

 

日常の集団場面でも、自分の意識の向けどころを、「内」と「外」に上手く切り替えながら自分の理論をふくよかにさせていく人は存在するはずですが、常日頃からそのようなことを実践している人は、やはりごく少数に留まると思います。「内向」が過ぎると前述のように思考が堂々巡りしてしまいますし、「外向」ばかりになると、自分が考える時間がなくなり、場の流れに巻かれてしまいます。会議などの場で参加者を観察してみると、それぞれの「意識の向けどころ」が見えてくることがありますが、残念ながら一般的に最も多いのが、「意識が内にも外にも向いていない人」ではないでしょうか。一生懸命考えようとするでもなく、場の流れを一生懸命追いかけるでもなく、ただそこにいてその場をやり過ごそうとしている人が、アセスメントのグループ討議でも多数派を占めてしまうというのが現実です。その次に多いのが、「外向」に偏る人でしょう。常に他者に意識を向け、調整的に動き、バランス感覚を持って参画するという行動特性には一定の安定感は認められますが、そのような人たちは、一体いつ物事を考えるのでしょうか。

 

私が最も気になる存在は、「内向に偏る人」です。内向に偏ると、情報不足に陥り堂々巡りになりやすいということは何度も述べましたが、しかし、「内向」という行動を見せた時点で、その人は、未知領域で概念化に舵を切るという、多くの人が回避する道を選んだのです。堂々巡りに陥って、生産性を確保するには至らなかったとしても、その行動選択自体が評価されるべきだと思うのです。考えすぎて堂々巡りに陥りやすい人は、どこの組織でも散見されます。その姿を見ると確かに「非生産的な匂い」が漂いますし、重苦しく思考に耽る人を面倒くさいと感じる向きもあるでしょう。しかし、そのような人こそが、費用対効果の高い人材能力開発の対象になります。概念化の意欲さえ持たない人をいくら教育しても変容は期待できません。しかし、思考意欲に溢れながらも、概念化のプロセス形成が未熟なばかりにくすぶっている人に、概念化の訓練を施すことには大きな意味と意義があり、その人が「内向」と「外向」とを繰り返す「成熟した思考人」に変わっていく可能性は、決して小さくはないのです。


東京で生まれ(1960年)、鎌倉で育ちながら、京都に憧れて高校卒業後に関西へ流れるが、何故か大阪の大学(関西大学法学部)へ入る。 念願の体育会ラグビー部に足を踏み入れるも、タックルができなくて干され、徹夜のバイトがばれて干され、と、「なんちゃってラガー」への道をまっしぐら。4年生でやっと公式戦への出場がかない、初出場の日の前夜は、ジャージを抱いて泣きながら寝た。 卒業後に入った商社で、早速、語学難民となり、「このまま日本に置いておいてもこいつは英語を覚えない」と当時の事業部長に判断されて、入社後1年も経たないうちに香港の現地法人に飛ばされる。現地の英国人たちとプレーする中でようやく面白くなり始めたラグビーの合間に仕事も少しだけ頑張る、という充実の日々を送り、バブルもはじけた平成2年の春に、5年間の任期を終えて帰国。 「国際人の俺様にはもっと大きい会社がふさわしいのさ」と、わけのわからないことをつぶやきながら、いわゆる大企業の海外部門を転々とするが、会社と仕事が肌に合わず、日に日に心が萎んだ。ついには重症の抑うつ状態にまで陥ってしまったが、そこに至ってようやく、「自分の強みは本当に『国際』『語学』なのか?」「本当に自分の良さを生かせる仕事は何なのか?」というテーマに、正面から向き合うことになる。 「世間からの見られ方」への執着を断ち切り、自分の価値観に正直になって新たなフィールドを選んでからは、心の元気を取り戻し、今に至る。37歳の時に入社した人事系コンサルティング会社で「アセスメントセンター」に出会って惚れ込み、これを生涯の生業とすることを決意。39歳の時に、今の会社を設立した。 50歳近くまで続けていたラグビーだったが、試合で足首をややこしく負傷してしまって以来、プレーをしていない。復帰するには手術が必要で、数年前から「今度手術するんですぅ」とあちこちで触れ回っているが、諸事情で延期が繰り返され、周囲からは「切る切る詐欺」の声が聞こえ始めている。

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